世話人とは
吉田の火祭りが挙行されるにあたり、もっとも重要な役割を果たす役職が「世話人」であり、「祭典世話掛(係)」と呼ばれることもある。世話人は、北口本宮冨士浅間神社の氏子地域を構成する三町(宿)から、町を代表して選ばれる神社への奉仕役であって、地つきの家々の青壮年男子がこれに就任する。年齢的には20~40歳代の男子で、厄年(42歳)になるまでに世話人をつとめるものとされていた。それは必ず既婚者でなければならず、大金を預かり、外交もできなくてはいけない責任ある役職なので、未婚者にはまかせることができない。
世話人は、浅間神社の主要な年間行事にさまざまな形で関わり、奉仕を行ってそれらを支える任務を負う。とりわけ火祭は、もっとも重要な奉仕活動の機会であって晴れ舞台でもあり、名誉ある役職そして祭りの顔役としての尊敬を受けることの反面、長老格での祭役ということではないので、氏子住民や神輿の担ぎ手であるセコ(勢子)らに対しては、あくまでもへり下った態度で接し、まったくの奉仕精神にもとづいて下働き役をつとめる。
火祭の2日間は揃いの衣装に身をかため、提灯を掲げて神輿の先導役をつとめるほか、さまざまな神事にも参列してその運営にあたる。また、長期間にわたって火祭の準備作業に関わるさまざまな奉仕作業に身を投じ、祭礼の行われる8月ともなれば、約1か月間にもわたって自らの仕事も休み、祭りの準備に忙殺される。
特に大切な仕事は、祭りの呼び物である結松明や大松明と呼ばれる大きなタイマツの奉納寄進者を募り、その寄付集めに奔走することであって、祭礼の半年前の春からすでにその任務が始まるのである。
世話人の仕事はそのように、大変な苦労を伴うもので責任も重いため、近年はなかなかその志願者がおらず、確保に苦労しているのであるが、その重責を果たし終えた後の感激にはひとしおのものがあり、祭りが終わって神輿を納めた後、随神門の前で彼らが男泣きに泣く姿が、今でも見られる。
こうして世話人をつとめあげた同期の仲間は一生の友となり、以後は互いにきわめて親密な関係を結ぶ。「上吉田の男は世話人をつとめて一人前」といわれ、この地に生まれた男子であったならば、誰でも一生に一度は世話人をつとめるものとされていた。なお前年度の世話人経験者を、俗に「旧世話」といい、当年の世話人らの指導・補佐役をつとめることになっている。旧世話は後役(あとやく)ともいい、二年後には後々役(あとあとやく)となる。
引用・参考文献
「吉田の火祭」国記録選択無形民俗文化財調査報告書 平成17年 富士吉田市教育委員会