富士スバルライン五合目からの登山ルートを写真とともに紹介します。
富士山へ登山する前に一度チェックしてみましょう!
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富士スバルライン五合目
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麓から五合目までの有料道路(富士スバルライン)について、本日の営業状況は下記リンクをご参照ください。
【富士スバルライン ホームページ】
山梨県側の富士山へのゲートウェイである富士スバルライン五合目は、富士山に登る人はもちろん、ドライブで立ち寄るだけでも楽しめる観光スポットです。標高約2300メートルに位置し、眼下には富士五湖や、時には雲海を見下ろす神秘的な光景を眺めることができます。また、レストランで食べられる富士山グルメも大人気!富士山の形を模した富士山カレーや、ここでしか食べられない富士山メロンパンなど、人気商品は行列ができるほど。エリア内には小御嶽神社があり、縁結びなどのご利益参りはもちろん、絶景スポットとして多くの参拝客が訪れます。
【重要情報】
2024年の登山シーズンは終了しました。
下記登山道は冬季閉鎖中です。
・吉田、須走、御殿場:5合目~山頂
・富士宮:6合目~山頂
・山頂(お鉢めぐり)
※山梨県が管理する御中道(富士スバルライン五合目~四合目奥庭間)は、
令和6年11月26日(火)から冬季閉鎖により全面通行止めとなります。
閉山期間中に登山を検討されている方は、下記リンクをご確認ください。
・登山計画書提出の義務化について
・富士スバルライン営業状況について
また、富士登山についての詳細は下記特集ページをご参照ください。
富士山吉田口登山ガイド
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高度順応のために、少なくとも登山開始前の1時間前には到着しておきましょう。
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靴紐の最後は二重縛りでしっかりと。
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最初は気持ちが高ぶり、早く歩きがちになりますので、少しゆっくりなくらいの気持ちで。
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富士スバルライン五合目から徒歩20分
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泉ケ滝
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最初の分岐点、泉ケ滝。六合目に続く登山道は向かって右側の登り坂。左の道は佐藤小屋のある吉田口五合目に続く。
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六合目まではダケカンバやカラ松の森の中をゆっくり、身体をならしながら進みましょう。
泉ケ滝から徒歩30分
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富士山安全指導センター
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富士山保全協力金の徴収場所、仮設トイレなどもあり、最初の休憩ポイント。多言語の地図の入手可能。
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デポジット方式でのヘルメット無料貸出や天気、登山道の状況など色々な情報を入手して、無事に下山できるように心構えも。
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ここからは登山道はジグザグ道になります。
落石を落とさないためにも、登山道の山側(内側)を歩行しましょう。
休憩は周りに気を付けて、道が広くなっているところでしましょう。
富士山安全指導センターから徒歩10分
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下山道との合流点
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安全指導センターを登っていくと下山道との合流点に到着します。
登山道は写真の右上に登っていきますが、帰りは写真左側の下山道からおりてきます。
下山道との合流点から徒歩60分
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七合目の手前から岩場がはじまります。岩場を登るときは、小股でバランスをとりながらゆっくり登りましょう。
ストックは滑りやすいので、後ろの人をつかないように注意。また、岩場の左右には鉄の鎖が設置されていますが、この鎖は道を示すものでつかまるものではありません。
中にはぐらぐらしているものもありますので、要注意。
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七合目
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昔ながらの囲炉裏のある山小屋から個室完備の山小屋まで、それぞれ特色があります。
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花小屋
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標高2,700メートルに位置する、吉田口登山道七合目最初の山小屋で、幕末期には伊兵衛小屋あるいは端室などとも言われていた。
六合目の富士山安全指導センターから1時間ほど登ると到着。六合目から続く火山砂礫の道を、登り切った場所にある。売店もあるので、飲み物などで休憩をしながら体を標高に慣らし、体調を整えるのにも最適。
小屋内に紫色の幔幕に朱色の幕房を設け、不動明王を祀っており、焼印のデザインはその守り本尊の不動明王となっている。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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日の出館
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標高2,720メートル、吉田口登山道(吉田ルート)七合目2番目に位置し、幕末期には小左衛門室・丈兵衛室とも言われた山小屋です。富士講の講社からの寄進品も多く、現在も使用されている湯沸しには、文政九年(1826年)の刻字があります。現在は資料として保管されている仏像や寄進品についても問い合わせがあるほど。
山小屋にはプロの写真家でもある小屋の主人が撮影した花の写真も飾られており、富士山に咲く花について知ることができます。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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七合目トモエ館
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標高2,740メートル。吉田口登山道(吉田ルート)七合目3番目に位置しており、以前は五合目にて天地境館として営業していた小屋を移築した。
山小屋内で一番初めに目につくのは、壁に掛けられた「まねき」。天地境館に奉納されたもので、糸柾(いとまさ)と呼ばれる詰んだ木目の欅の板で作られています。以前の改築の際には、この「まねき」を掲げるために天井を高くするなどして代々大切に引き継いでいます。今でも時折、登山者からまねきを奉納した方々にまつわる話を聞くことがあるといい、昔の信仰登拝が過去のものではなく、現在にも繋がることを感じさせてくれます。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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岩場は狭いので混雑時は通行の邪魔にならないよう、一列で歩きましょう。
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鎌岩館
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標高2,790メートル。吉田口登山道(吉田ルート)七合目4番目に位置し、約150年の歴史がある山小屋。古い書物ではこの周辺の尾根を神満岩(カマイハ)や鎌岩、釜岩、カマ岩などの表記が見られます。
小屋の付近には溶岩洞窟があり、岩の間から伝う清水は古来より母乳にみたてられ、「飲むと乳の出が良くなる」とされるなど安産祈願の場所として信仰されてきた歴史があります。
山小屋に必要な物資の供給に馬が使われていたの時代(つい最近の昭和54年まで)、荷揚げの馬が登ってきていたのは標高2,700メートル付近とこの山小屋付近まででした。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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富士一館
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標高2,800メートル、吉田口登山道(吉田ルート)七合目5番目に位置し、八合目の元祖室とは姉妹館。
富士一館の周辺は高山帯と亜高山帯の境界付近になり、この周辺までは様々な植物が自生し、矮性化した木の群落もあり、植生の垂直分布の境目となっています。以前は、「ニホンカモシカは富士一(館)より上には登らない」と語られていましたが、近年はその上部でも目撃情報があります。
富士一館の焼印は商売繁盛を願った小判形のシンプルなデザインです。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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七合目、鳥居荘の前には朱色の綺麗な鳥居。
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鳥居荘
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標高2,900メートル、吉田口登山道(吉田ルート)七合目(本七合目)に位置し、富士登山のランドマークにもなっている赤い大きな鳥居がある山小屋。
富士山の各山小屋は宿泊、避難施設として役割のみでなく、神仏が祀られている信仰施設の側面もあります。この鳥居荘には、浅間神社と同様に天照大神と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、他に弥勒菩薩も祀られています。そのようなことから富士山信仰の講社などから寄進された品が数多く残されています。そのような品は博物館などに貸し出されることもあります。また、登山者の中には鳥居の横に建つ古い道標(明治期に山梨県が設置した「金鳥居元標」)に刻まれて不明瞭になった文字を判別するなどの交流をされる方もあるとのこと。登山者と山小屋の交流は今も昔も変わらず富士山で行われています。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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七合目最後の山小屋、東洋館への登り。
急な岩場を越えて最後の階段を上れば、東洋館です。地形が急なのでゆっくり着実に進みましょう。
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東洋館
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標高3,000メートル、吉田口登山道(吉田ルート)七合目最後の山小屋であり、記録が残っているだけでも10代以上続く、歴史ある山小屋。古くは小屋主の名前から「藤五郎小屋」とも言われていました。またカマ岩尾根の一番上に位置して落石等の危険も少ないことから「安全室」とも呼ばれていました。
昭和に入って間もなくはここ東洋館には警察電話が設置され、昭和25年から55年までは警察の臨時派出所も置かれていました。(昭和56年以降は六合目安全指導センターに移行)
山小屋の下には「お穴」といわれる八畳ほどの水の滴る溶岩洞窟があり、水にまつわる神として八大竜王が祀られています。また、山小屋では水が大変貴重で、現在よりも運搬が困難な時代には、雨水の他に吉田大沢にある万年雪を屋根に載せて溶かして利用していました。しかし、足場の悪い場所で、切り出し、背負子で運んでも得られる水の量は僅かだったとのことです。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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このあたりで標高3,000mを越えるので、高山病の症状もそろそろ現れ始める頃。
無理をすると症状が出やすくなるので、水分補給を忘れずに息の切れないペースでゆっくり登りましょう。
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八合目
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標高3,100m、八合目太子館に到着です。
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翌朝、山頂で御来光を臨む場合には七合目や八合目の山小屋に宿泊します。
ゆっくり休んで翌朝に備えましょう
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太子舘
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標高3,100メートル、吉田口登山道(吉田ルート)八合目に位置する駒ヶ岳の岩尾根にあり、かつては駒ヶ岳太子室と言われていました。その尾根は、甲斐の黒駒にまたがり富士登山をしたといわれる聖徳太子が休憩した場所と伝えられています。富士登山をした最初の人物とされる聖徳太子は「聖徳太子絵伝」という掛幅にも描かれ、この地は江戸時代前期から信仰の地として知られていました。
聖徳太子以降も多くの偉人が富士登山に挑んでおり、戦争中に富士登山が奨励されていた時代もあったといい、兵隊さんの登山が多かったそうです。また、昭和50年ころまでは、体力に不安のある人が強力(ごうりき)を雇い、頂上まで背負子で背負われている姿も見られたそうです。
平成13年から救護所も隣接して開設(7月上旬から9月上旬まで)されており、年間3~400人の受診者が訪れ、登山中に不安を感じる登山者の心の拠りどころとなっています。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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蓬莱館
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標高3,150メートル、吉田口登山道(吉田ルート)八合目2番目に位置し、かつては蓬莱室と呼ばれていました。「蓬莱」とは霊山や仙境の美称でで、「蓬莱山」は中国の『秦始皇本紀』に三神山の一つと記されています。この地域では、徐福が秦の始皇帝の命で蓬莱山にある不老長寿の仙薬を探す旅に出て、見つけた仙薬が富士山に自生する苔桃の果実(地元では“はまなし”)であると伝えられています。
ふじさんには霊場とされている信仰の場が多く、この小屋の近くにもその形から『亀岩』と呼ばれる大きな岩があり、八大竜王と後に福徳弁天が祀られた祠があります。かつては、山小屋内に亀岩神社があり、現在では富士講の祖 長谷川角行も祀られています。
自然相手の営みは、人の力ではそうすることもできず、神仏・自然への畏敬の念を忘れないことから各山小屋では様々な神仏が祀られ、今も大切にされています。この小屋では、毎朝10時に小屋にある太鼓を10回鳴らし、登山者と山の安全を祈ります。天気の良い日は高い音で良く響き、悪天候の日は籠った低い音で響かないとのことです。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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八合目白雲荘です。
日本で二番目に高い北岳よりも高く、ここより高い場所は富士山しかなくなりました。
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白雲荘
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標高3,200メートル、吉田口登山道(吉田ルート)八合目三番目の山小屋で、かつては仙行室と言われていました。山小屋には文政二年(1819年)作とされる仙行と身禄の像が祀られ、先代より仙行白雲荘を屋号としています。
仙行(仙行伸月)とは、中雁丸由太夫豊宗(なかがんまるよしだゆうとよむね)の行名です。仙行は食行身禄(じきぎょうみろく・富士講中興の祖)が富士山中で入定した際、父親と共に最後まで世話をしたと伝えられています。後に、麓の富士吉田で御師(登拝者の宿泊や潔斎などの世話をする祈祷師)となり、富士山駅近くにある金鳥居(かなどりい)の建立を共同で発願するなど、富士登拝の普及に努めた人物です。
標高が上がるにつれて気圧や気温が低下するため、心身ともに負担が大きくなり登山者を苦しめます。そんな時には、山小屋で一息つきながら登りましょう。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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元祖室
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標高3,250メートル、吉田口登山道(吉田ルート)八合目4番目に位置し、富士講中興の祖といわれる食行身禄(じきぎょうみろく)が、万民を救うために入定した烏帽子岩のすぐ傍にあります。即身仏となった身禄(元祖様)を祀るために小屋を設けたことが始まりとされ、元祖室となった由縁とされています。
山小屋に隣接して設けられ、明治15年に山頂から遷された富士山天拝所では、神職が毎年七月中旬から八月中旬の間、新法と共に参籠し、御札やお守りを出しています。また、潔斎をした信徒が行衣(ぎょうえ)といわれる白装束で登拝を行い、この山小屋を定宿としています。
吉田口の山小屋16軒には各々守り本尊などをデザインした独自の意匠の焼印があります。この焼印を金剛杖に押印するのを楽しみに、毎年遠方から訪れる登山者も多いとのことです。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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ここには江戸時代に富士山巡礼の火付け役となった食行身禄様が祭られており、巡礼登山の聖地として知られています。
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胸突八丁
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元祖室を過ぎると本八合目が見えてきます。本八合目周辺は胸突八丁と呼ばれ、昔から行程中の難所と知られてきました。長い階段ですが、ゆっくり登っていきましょう。
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本八合目富士山ホテル
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標高3,400メートル、吉田口登山道(吉田ルート)八合目5番目に位置し、須走口登山道と合流する大行合(おおいきあい)、本八合目などといわれる場所にあります。延宝八年(1680年)には既に大行合の地名があり、江戸時代末期には吉田口側に5軒、須走口側に2軒の山小屋が営まれるなど古くから大変賑わう場所でした。
明治39年(1906年)に郵便局が開設され、翌年には巡査派出所・救護所および電話が設置されるなど、登山者の利便性と安全性を高めるため、山梨県により大幅な施設整備が行われました。その際、いくつかの山小屋が統合し、富士山ホテルとなり、先駆的な取り組み(2段ベットの設置、食事へのカレーライスの採り入れ)が導入されました。
昔は麓から登るので、五合目付近に一泊し、その後に八合目付近でもう一泊する登山者も少なくなかったとのことです。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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本八合目トモエ館
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標高3,400メートル、吉田口登山道(吉田ルート)八合目6番目の山小屋です。大正15年(1926年)に御来光館が創設されるまでは吉田口登山道の一番上にあった山小屋で、釈迦室・ホテル上室などといわれていました。明治中期頃までこの小屋を管理していた富士講の正広講により、北口本宮冨士浅間神社の大日如来を模して作った釈迦如来の仏像が祀られています。
本八合目は大行合(おおいきあい)といわれる須走口登山道との合流点で、昔から須走口側の関係者も情報が集まり、情報の共有がなされる場所であったとのことです。また、下山道と交差する場所にも近いため、登頂を諦めた登山者と下山してくる仲間とが合流する要であると共に、天候やルートの状態によっては、下山の判断を下す場所でもあります。
(出典:富士山吉田口環境保全協議会 山小屋だより)
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本八合目
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標高3,400m、本八合目。山小屋がいくつかありますので、水分補給やトイレ休憩をお忘れなく。
ちなみに、ここから上は浅間大社の境内になっています。
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